0004【泡沫の平穏】

 少年が夢ヶ丘に来てからはや二週間。傷は完治、体力もすっかり戻ったものの記憶は何も戻らない。しかし日常を送るには支障無く、黒いエプロン姿で腕白小僧に御転婆娘たちと格闘する喧騒に満ちた日々を過ごしていた。

 そんなある日、少年は隣町にあるスーパーの特売日に子供らを連れてやって来た。狙うは個数制限のある特価商品、これまでは院長と来ていたと言う孤児らは人ごみを泳ぐように移動し、人数分の食材を着実に入手していく。だが、乃々美が担当する商品最後の一個を巡り、ある買い物客の親子と揉めてしまう。

 元々引っ込み思案の乃乃見は強く出れない為、言うべき時に反論を口に出来ない。そのうち彼女の身なりのみすぼらしさなどから孤児だと分かるや否や、母親は人目も憚らず彼女を貶める罵詈雑言を頭から浴びせ、その息子もそれに乗じて無邪気に残酷な悪口をぶつける。

 乃々美が泣き出したのを見て、得意気な顔を見せる親子らが放つその言葉はまともな人格者ならまず口に出来ない放送禁止スレスレのもの。それを誰も咎めず、制止もしないで傍観を決め込む周囲の無責任な大人たち。少年はその光景に失望にも似た怒りを禁じ得ず、それが己の心に黒い染みを生み、そこから得体の知れぬ「何か」が頭をもたげ始めているのを感じる。それを振り切って親子に一瞥もくれずに女児を助けに入ると会計に向かう少年。だが、謝罪も無い事に腹を立てた子供が少年の外見を「童顔」だの「女男」だのと囃し立ててしまう。

――その時、その場に同席していた全員が何かが千切れる音を聞いた。


  • 最終更新:2017-04-28 22:48:37

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